移住について

移り住む・・・
1957年1月生まれ。山梨県富士吉田市で高校時代まで過ごし、サラリーマンを経て45歳で脱サラをして神奈川で焼き鳥屋を開業しました。12年の営業の後、伊東市大室高原に移住しました。

移住を考え始めたのは腹部大動脈瘤で手術を経験し健康面での心配と東北の震災で天災のもとでは人間は無力と感じたからでした。
賃貸の店舗と住宅ローンの自宅はそろそろ還暦を迎える身としては負担に感じるようになっていました。で考えたのがこれからの人生なんです。

当時、神奈川県大和市に住んでいました。店をやめて自宅を売却して自然のあるところに越そう・・・とぼんやりと考えていました。2012年の半ば頃より物件探しを開始しました。場所は海の近い伊豆東部でした。下調べもせずに不動産屋さんの物件情報だけを頼りに伊豆に度々出向きました。 海のないところで育った私には「海」は大きな魅力でした。物件の予算は1000万円以下です! しかし、案内された物件はいずれも「・・・」なところばかりでした。

構想としては、伊豆高原に越して飲食店をやる! というものでした。1000万円以下で物件を購入し、リフォームして自宅兼店舗にするつもりだったので店舗に適さないものは食指は動きません。先ずは安価な物件は平坦地が少なく駐車場の確保が難しいのです。 で、深秋に出会ったのが今の場所、大室高原2丁目の物件です。

昭和47年築の物件でした。初めて見に行ったときは木立に囲まれた普通の古い別荘でした。見に行くちょっと前まで、ご婦人が一人で暮らしていたそうですが、老齢で施設のお世話になるということで今回売りに出されたとのことでした。古い物件でしたが、土地は150坪でほぼ平坦でしたので700万円で契約しました。契約日、引き渡しは2012年12月24日でした。 名義変更は自分で行い、熱海の法務局に郵送で書類を送付して年明けに変更登記が完了しました! そして、ここから伊豆も生活の場となりました。

当面は仕事(焼き鳥屋さん)もあるので、定休日を利用して神奈川からリフォームのために通うという生活が始まりました。

自分でできそうなところは、DIYで。できそうもないところは業者さんに任せることにしました。 内装をDIYしながら、見積もりをとりながら業者さん探しました。 私自身、小さなDIYは経験はあるのですが、「家」となると・・・

ネットや書籍で調べながらの作業でした。

外装は樹脂サッシ。これは素材は50年保証で、メンテナンスフリーです。プラスチックみたいなものです。

屋根はガルバリ、それと形状的に増築も行いました。窓は全てペアサッシに交換、あとは水回りを全て新規に敷設し、主要な電気工事までを業者さんにお願いしました。 20年は大きな手入れをしなくてよいように考えながら施工してきました。年金暮らしだと大きな出費は痛いですからね。

まだまだ、改装中ですが現在はこんな感じに仕上がっています。 →

一階部分は飲食店の店舗になっています。 二階が住居スペースになります。 雑草の勢いが凄いのでウッドデッキを作りました。作っているうちにどんどん継ぎ足して広くなっていしまいました。 デッキの上の木材の枠はテント地の屋根を張るためのものです。

2018年、まだ年金生活にはちょっと時間があるので飲食店を開くことにしていました。自分のスキルを活かすのは飲食業しか浮かばなかったのです。 大室高原二丁目にあるので「二丁目食堂」と名付けました。開業後も父の介護問題やら自分の病気などあって営業もままならい状態でしたが、なんとか仕切りなおして再スタートを目指しております。

「移住して何をするか?」というのも重要な検討課題だと思います。 家庭菜園やDIY、陶芸・・・50、60の手習いの方も沢山いらっしゃいますよ。

移住と言うと先住の方々とうまく付き合っていけるか・・等の不安があるかと思います。 私の暮す大室高原別荘地は皆さん、移住者なのでそんな不安はありません。主に関東近郊の方が多く、定年を機にこちらで暮らすという方がほとんどです。 私の所属するハイキングクラブの方が神奈川時代の息子の塾の先生だったりと世間は狭いな~と感じることもありました。

別荘地ではどっぷり田舎暮らしを堪能することはできないかも知れないですが、楽しいご近所付き合いなど気兼ねなく移住生活を楽しめることと思います。